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雨上がりの朝

みみちゃんが早起きだったので、みみちゃんがいなくなっても早起きになりました。1930

flowers

mannerhouse

それで昨日からまた違うところでシッターしてるので早朝散歩に。雨上がりで風がふんわりやわらかく植物たちも生き生きしてる。近所はこんな家とか1930年に植えられた思わず抱きつきに行った巨大なユーカリとか桜みたいな花とかも咲いてた。一駅あるいて、ソイラテとクロワッサン購入して、またあるいて帰ってきたよ。あーさわやか。

 

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いろいろなところで猫と暮らす。

猫も人間と一緒でみんな全然ちがう。歩き方やらご飯の食べ方、声の出し方、匂いもちがう。人間は言葉で気持ちを伝えるけど猫は言葉では伝えない。ただ人間は猫を見て想像するだけ、もしかしてこうちゃうかなとか。この想像するということがすごいことかもって最近思う。想像の仕方というのは人それぞれ。例えば同じ猫についてちがう二人その猫の性格とか何考えてるのとか想像したらそれはきっとそれぞれ違う。

その人の関わり方で猫はどんな風にも変わる。想像にはなんの決まりもないから。けどちゃんとその相手に焦点あわせていくと、それはすごい執拗に観察したり想像の裏をかいでみたり。してることくりかえしてると。なんか自分だけのその猫がうきあがってくるからそれがいまのとことよものアニマルコミニュケーション。かなぁ

 

結局そんなふうに

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猫のことかんがえてると、自分というものも自分できめつけてるけど、Aさんが見た自分と、Bさんが見た自分が違うように自分って自分のの中でも変化するもんなんにゃで。きっと。

といことは。自分ですごいいい風に自分のこと想像していったらええのんとちゃうかな。すごい簡単なことでいうと、とよもは勉強家できなかったそれはよのなかではダメという評価される。けど勉強でけへんかったらほかのことができるやろ。

それでええんとちゃうんって。ちっちゃいときの自分にいうてやりたいわ。

世間のいうダメという評価それだけでそんだけ、もったいなくからまってきたか。

得意なことで仕事して普通に暮らせて。ここまでなかがったけど。よかったわ今なんかわかってきた?。。。

 

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久しぶりすごい作品にふれましたわ。

とよもが初めてオーストラリアに住むようになった場所シドニーのサリーヒルズ、ああなんとなくいいかんじのひびきやね。

surry hills 住んでたとこは家ではなく倉庫、当時5人くらいでひろーい倉庫に間仕切りとかして暮らしてたのですわ。

そこは広ーいので、日中だけアトリエとして絵を描きにくる女の子がいてました。

とよもは、皆が居なければ解放やーーって、広ーい共有スペースでビデオみたり、ソファにすっぽりおさまって本を読んだりしてたけど、誰かが帰ってくるとそーっと部屋にもどってた。なんやろね、人が居てると寛がれヘん。そんなことしてたとき、絵を描きに来るおんなのこが、置き手紙をおいていった。

ここはあなたの家なんだから、誰が来ても気にすることなく寛いでね。

そんなこと考えてくれてる人がいてんねんなってうれしかった。かな

当時とよもは自分の部屋で絵とか描いてたりもしてた。

ある日絵を描きに来てる女の子が、とよもの部屋にすごいでかい、キャンパスっていうの?、1mくらいの3つ使ってくれる?ってくれた。

それでそのキャンパスに絵を描いて、個展してひとつ売れたよ

個展した時にはその子はもう、家に来てなくて他のアーティストが共有スペースで作品を創ってた。

ああそれから20年以上の月日が経ち。とよもにキャンパス大盤振舞いしてくれた女の子が個展をするってFacebookで知ったんで昨日オープニングに行こうと想って電車にのって行ったけどギャラリーの場所が分からず一人でとぼとも帰って来た、なんやねん!

グーグルでギャラリーの場所もう一回調べて今日またいってきたよ。

日本に居てる時、横尾忠則の個展に行って、そのときそこに入った瞬間になんかぐわわわわーんとくるものがあって、こりゃあすごいわ。絵をみるでなくて、そこにはいっただけでぐわわわわーんなんやって

その時と一緒の感覚があった、その女の子の名前はEMMA WARKER

フリーダカーロでもモネでもその感覚はなかった。

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emma warker

arthouse galleryで個展中

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どうしょうどうしょう、どうにもならんわー

14歳のみみちゃん、昨日は環境の変化で一日中ビクビクしていて、体もなんか息吸う時に小刻みに震えてた。いつも空中を見上げてそこにはなにもないのに、何かが見えるのか。一日中暗いベッドの下の角で寝ないで座っていて、夜中にウォーン、どうしょうどうしょう、どうにもならんわーみたいな叫びを声あげてた。

今日はとよもは朝から出かけてたので、帰って来て夕方ベッドにのせて、隣で一緒に寝てたら、やっと体を手入れしだしてそのあとゴロンと寝た〜。それからは、ごはんももりもり食べたあとお気に入りの箱にはいったので、ながーい葉っぱで遊んでやると遊びだした。ああよかった。

今は箱の中で寝てますわ。

今までの経験からして一日くらいで大丈夫になるはずって想いをもってたら、そうなるもんだ。

全然人見知りも無くいつもリラックスできる猫と、神経過敏で恐がりな猫がいてるけど恐がり猫のほうが慣れてくるといつもすごい甘えてくれるのはほぼみんな一緒。猫はほんとそのままなのでシンプルでわかりやすい。

みみちゃんはちょっときーつに似てる色合いなので、なんかふとみると、そこにきーつがいてるような気になる。

写真の箱の穴から手が出てるのと全然楽しそうでない顔がみそ。

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飲み会にいくのをやめて頑張った

一年に一個くらいオーダーが来る、フェルト猫の骨壺カバー。今回は一人の人が2匹オーダーしてくれた。複雑な模様は出来てからちくちくとフェルティングニードルで植毛していく。目も色々つくって試行錯誤してたら、ほんまにどれがええのんかわからなくなーる。。

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相手を信じ切るあんど自分も信じる!

前回の本当の自分に出会わないまま人生を終る件について、とよもは自分でもそうなんとちゃうかなって思いながら書いてた。ほんで今日、ほぼ日で糸井さんが書いてた事読んだ

今回のオリンピックでも、
何人もの選手たちが、じぶんなりのやり方で、
「心配ない」をつかむようすを見ていた。
たとえば、女子卓球の三位決定戦。
伊藤美誠選手が勝って銅メダルが決定したが、
あのときは、次には石川佳純選手がいる、ということが、
思いきりのいい試合をできる支えになっていた。
さまざまな競技のなかで、そういう場面は多かった。
男子400メートルリレーのバトンは、
受ける選手と渡す選手が、相手の動きを信じきることが、
すばやく確実なパスの方法なのだという。
じぶんのことも相手のことも、信じきって
「心配ない」というところまで練習してきたという。

 

自分を信じ切る、相手を信じ切る。

しかしながら、信じ切るって、どうやったらええん?

”全ては自ずとから決まっている事それにゆだねればいいんじゃよ”。神の声

でなことで。信じ切るということは

今起こったことは、もうきまってることやから

身を任せるほうがお得ということらしいてす。

身を任せるとは、ほんまおもたそのままで

こうしたら怒られるんちゃうかなとか

こういうたら嫌われるんちゃうかな

こうしたら、皆が自分を好きになってくれるんちゃうかな

とか

そんなこと考えんと。ほんまそのままの気持ちを勇気を出してゆうことで始まるらしい。

それが心配無いで〜ということになるらしい。これって糸井さんの言うてる極限まで練習してして心配ないというとこまで持っていくのとは違うけどね。

闇雲に信じ切るというか、起る事しか起らないからどうしようもない、それでそれは全て必要な事で誰の責任でもないのかなぁ。。。

 

 

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本当の自分にあわないまま

シドニーで一流企業と呼ばれてる所で5年以上働いてた友達が、今月アメリカのミネソタ州の専門学校にい一年行くことに決めた。そこで管楽器の修復を習う。

友達の今までの仕事は忙しく常に新しいことを勉強しながら精神的にも体力的にも無理を重ねていたみたいで、自分がやりたいことをずっと水面下でさがしていた。彼女はトランンペットやウクレレやバイオリンを演奏できるし音楽が好きみたいなので、最終的に管楽器の修復にきめた。

とよもは、そんなともだちのことがすごい嬉しい。安定した生活を捨てて新しい土地への移動はけっこうパワーはいるもんね。でも自分のことかんがえてみるとそんな時はなにかに憑かれたように、ちがうところから動かされてるみたいになってたなぁ。宇宙の采配?

ほとんどの人はなにかに縛られ世間とかを気にし、自分に起こる自動的思考に慣らされて本当の自分に出会わないままこの人生を終えるのかもなぁ。そんなんもったいなさすぎる。せっかくすごい確率で産まれて生きてるから、自分が楽しいこと好きなことみつけて仕事につなげていくほうがぜったいにいいとおもう。最初はうまくいかず苦しい生活になるかもやけど、1−2年つづけるとだんだん状況は良くなってくる。とよもはカジュアルパーマネントのデザイナーの仕事辞めてからもう16年、なんとか自分で生活できて最近は自分のためにお金使うこともできるようになってきた。スーパーの野菜とかでも6ドル以上のものは高いとおもって買えなかったけど、いまや、$7、99のホワイトアンチョビも買える!

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太陽の光がシャワーみたいできれい。爪が布団にひっかかってる。

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いつもと違う朝

今朝洗面所タイルにの血の付いた毛が。
猫が怪我でもしてるのか見てみたけどどうもない。
朝7時前、ご飯をあげて猫ドアから2匹がでていったあと、そのドアを開けると

ぎゃーっ
そこにはポッサムの死骸とその横に綺麗に抜いたグレーの内臓が。。。そしてボッサム食べてるboots、えらいこっちゃどないしょ。(昔こんな歌があった)
とおもったら、ちょうど隣の家の人が庭で家の修理してたので塀越しに
ポッサムが死んで猫がそれたべるんです。というと
それで?どうして欲しいの?と聞かれ

あっ、英語では経過でなく結果を先に言わなあかんねんや
自分では処理できないので、、、というと
10分待って、着替えて玄関から行くから
10分もしないうちにおじさんはなんと作業服から普通の服に着替えて来た。
よごれてもいいようなツナギとかに着替えるのかとおもてたのに。そのうえすぐにこれなくてごめんねって。。

ビニール手袋とごみ袋2つもってきて、ボッサムのしっぽつかんで袋に、内臓は別の袋にくるんで取ってくれた。それをとよもがもってきた袋に入れておじさんのてぶくろもいれてきつく縛りゴミ箱に。。。

ああーこんなこともあるんや。キーツはゴキブリでさえこわがって取ろうともしなかったから、ポッサム殺して裏庭までもってきたんは、どの子じゃー。さすがにポッサムの写真は撮れません。やすらかに。。といいつつゴミ箱にいれるとよももね。。。

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シャ・ノワールみたいな猫、boots

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朝日の中のbootsくん

 

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なきつづけた末に膝の上のタイガーくん。bootsがよくタイガーの毛づくろいをしてる、優しい男boots。二匹ともけっこうすりすり派。

心意気について。日本の料理人見習いは昔ドラマで見たけど、はじめは鍋を磨き続けるとか掃除するとかそんなことばっかりで、見習いはなんでやねんとおもうか、何も思わす一心に言われたことするか。

何もおもわず一心に言われたことできる人が修行を続けられる、これはきっと師匠を尊敬してどうしてもその人のような料理人になりたいという他の人にはない心意気があるからかなとおもった。そのこころがほかの思考を入らないようにしているという、ようするに何かを強く求める時に自然になる精神統一かな。普通の人はいろんな思考にじゃまされて納得いかないとかかんがえてしまうもんね。そんな心意気取り戻したいもんだ。