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金曜日はみっしゅの日

前回みっしゅが来たのは15日金曜、そしてきょうが22日金曜。いつも毎日来てたみっしゅは一週間に一回だけ来てくれる。今日は勢いよく卵の黄身をたべて、あーうみゃい〜。なんか口がおじいさんっぽくなってきた?

明日母屋に住んでるお母さんと21歳の双子がビーチサイドの家に引っ越すよって昨日聞いてびっくり。もともとビーチサイドに住んでたし、ここでは仕事が少ないから暮らしにくいらしい。そういえば子供達もほとんど家に帰って来ないで、友達の家に泊りに行ってた。隣の人がいなくなったら芝刈りまた一人ですることになりたいへんや。。しかし、いきなりすごい暑い。日曜は36度になるとかラジオでいいうてる。先週は寒い寒いとオイルヒーターにくっついてたのに。

朝6時過ぎから隣の21歳の大工さんが大っきい車で帰って来、8時過ぎに手伝いにいったらもうおわったよ〜と、引っ越し業者が7時ろ来たから素早い。皆が去って隣のデッキみたら戸めいっぱい開いたまま。。。下のガーデンスペースもちらかったままで、掃除して芝生の上のおいてたテーブルセットをおいた。ばあちゃんいてる時はタイルの隙間に生えてくる草が嫌いで、すぐに抜いてくれっていうてたので、スペードという道具で隙間の草を我がガーッととって綺麗にしておいたよ。ばあちゃん。

今日は猫のおじさんが亡くなって3年の命日。

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ナッツのはちみつづけとくま

最近ナッツのはちみつづけにはまってる。このはちみつはシッター先の友達からのプレゼントで、その友達のともだちがわりと都会で収穫するはちみつで、小規模なのでお店にも出さず注文した人にだけ売ってくれるみたい。これがいままで食べたはちみつのなかでは、杉若國太郎(とよものおじいちゃん、甥も一緒の名前)のはちみつのつぎにおいしかった。おいしさのひみつは、さりげないあまさと独特な香り。紅茶キノコを作る時に砂糖半分にしてこのはちみついれるとすごいいい香りが醗酵しても残っててすごいおいしい。はちみつナッツは箸でつまんでたべる。おーおしいい。

おととい高砂淳二という写真家のブログ

大阪ニコンでの写真展「LIGHT on LIFE」の

クマの写真を見た瞬間感動して発作的に粘土でつくったくまくん。写真とは全然違うけど。

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穴なんか無いのにあるっておもた時それはある。

いつも作品を置いてくれてるハミングカフェでみつけたちっちゃいブーケ、このうすピンクの蕾の花は初めて。Blushing brideという名前とお店の人が教えてくれた。いつもセンスのいい組み合わせのFLOWER STORIESさんの作品。シッター先の猫たちも花が気になるようす。

 

『自分の意見を綺麗なケーキみたいに建前仕上げてしても、ついでにその中に黒いものをいれたりしてしまうものなのよね』

友達の言葉が腑に落ちた昨日

ううっ。とよも試練中。

この前TAFEの陶芸教室で、『私はコミニュケーションができてないから』俯き加減に言うたあとに、うわぁこれ演じてる自分ってすぐにわかった。そう言うことによって大丈夫だよって言葉を引き出せるって知らないうちに知ってる自分。

こうやって、空いてる穴をちょいと埋めたりして生きてきたんやね。

穴なんか無いのにあるっておもた時それはある。

これって、おかんがいうてた

お腹すいたと思うから、お腹すくねんと一緒。おかん哲学者。

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stand by me-そこにいてて

昨日焼きあがった作品とりにいってきた。

釉薬が濃すぎるとはおもてたけどそのまま焼いたらあんのじょう小さなあわができてそのあわが多分焼いてる間にわれてところどころ穴が空いてる。子供の方はなんとなく綺麗にできてるのはたぶん、サッと付けてさっとあげたからかな。でもなんか釉薬失敗してもかわいいとおもえるのは親子で作ったからかな。

おかあちゃんお腹すいたわ お腹すいたとおもうからすくんや
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跳び箱の神様

ちっちゃいときから、勉強できなく、運動できなく、絵くらいかな普通にできたん。でもな、テストのときだけは跳び箱6段飛べて、その時確かに誰かが背中押してくれた感覚があった。

ほめられもせず、特にできることもなく、何にもできない自分という考えとともに生きてそれ相応にできない人の人生たどってきた。そのなかで宝石みたいなことば『とよちゃんはやさしいなぁ』っていうてくれた近所のおばちゃんかいてた。子供やった私を見てどこがやさしいって思われたんやろっておもう。それなりにストレスもあってこっそり悪いこともしてたし。きっと何も無い自分を知っててこどもごころにやさしさを演じてたのかもなぁ。

そんなとよもが大人になってグラフイックデザイナーとして働いてた時、なにもかもかっこええフォトグラファーと仕事をし、きっとこの時、雲の上とつながって自分で自分の好きな物創るようになった。そのあとこれまたかっこええオーストラリアのフォトグラファーに出会い、なにもかもぶっちぎってオーストラリアに移住。

これは今考えても、不思議としかいえない。海外旅行もきらいで住んでるとこと会社以外見てなかった自分をかってにむかし背中押してくれた神様がすごい力でまた押した。

日本からでて、日本で作り上げた冴えない自分が無くなるまでかかった年月24年。

なんかわからんけど、うじうじなやんだり、心配の袋の中にすっぽりおおわれたり、人をぐっさり刺したり、機嫌が悪くなって操縦不可能になったりするのはもうやめたいってすごいおもう。

 

跳び箱自分で飛んだんと違う

そのとき誰かが押してくれたから。

自分の人生はじぶんでなく誰かがいつも動かしてる。

跳び箱の神様がいつも今ここにだけいとけよっていうてる。

ほんなら、かってにいろんなことが流れてくるから。

なんにも、そこでつかみ取るとかつづくことはない。

出て来ては消えていくもんばっかりやで。

それを楽しんでや。

そうやったらなんにも無くしたり恐なったりすることもないし。

今流れて行くものつかんで自分のもんにしようとした瞬間

それを失くす恐怖とかがでてくるねん

流れてくるのんみてそれで自由に遊ぶだけ。

跳び箱の神様が自分を通して何かを創りたがってるだけ

創造したいようにさせよう、ながれるままにあふれださそう。