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信じていればええねん

猫シッターは、好きな猫と素敵な家で暮らせて(小さな自分の住処とくらべて)キッチンや冷蔵庫にあるものはなんでも食べてねといわれ、そのうえお金がもらえる素敵な仕事。でも今回病気のぽんちゃんがシッター中にもっと具合が悪くなり動物病院に走らなあかんことに(タクシーでいくけど。。)。

そんなとき、海外にいてる飼い主さんは心配マックスになる、そのあいだにはさまれて自己否定力が威力を増しとよももけっこうきゅうゆうになる、最初は飼い主さんに叱咤激励されなから指示に従うのがめいっぱいやったけど、これって信頼されてない証拠?むらむらそんな考えが起こってきた。

それで

安心してもらえる自分を目指してぽんちゃんが下痢になったとき飼い主さんにいわれなくても、獣医さんに治療後テキストメッセージで質問し、そのあとでぽんちゃんのこと飼い主さんに報告したら。

それは注射のせいかもしれないので獣医さんに聞いてみてくださいと言われた時に、いやすでに聞いてこういう返事をもらってるので大丈夫かととか今日言えた。

はじめは悔しさで相手を責めてたけど、その経験をもとに自分を変えたらええだけやった。いつもそのくやしさを感じなくするために相手を悪者にして安心してたんや。

 

毎日の現実はほんとうは映画で、自分は俳優で演技してるだけみたいなふうにかんがえれば、ほんとうの自分には心配も不安もない。台本の通りことが起こってセリフを本当みたいに言うてるだけ。そのなかで湧いてくる感情も演技の一部とおもえばいい。でも俳優の世界ではそのなかから台本にないはずの感情からの表情とか考えとかアドリブとかがマジカルにでてくるらしい。それはどこからでてくるん?それが演技のある意味?それともそれは別世界へのわーぷ?過去生の経験から?

現実劇場では言葉でのコミュニケーションは妄想から感情が発生したりしてみんなが自分の考え方が正しいと思うか、嫌われたくないがために本心を隠して言葉を出したり、自分のことしか考えられず喧嘩になったりするけど。そんなことにいちいちこころをわしづかみにされず。ただの演劇よのう〜と一歩離れたところでじぶんをみる練習するのがいいかも。