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猫楽園

楽園生活も明日で終わりということろ、白猫さんがいっきに壁を崩してうっとり攻撃。行くとこ行くとこについてきてすごいリラックス。

長毛さんは最初から仲良くしてくれてたからね、長〜い雨もやんで、太陽がポカポカ風もきもちよし、ああしあわせ。

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ばるめいん今むかし

とよもがフェルト製作をサウスオーストラリアのアーティスト、india flintに教えてもらってからその時に住んでたバルメインの教会でやってるマーケットで作品売ってたのは2001年くらいかな?その時はいっぱいお店がでてた。今朝郵便局へ行った帰り道にちょっとそのマーケットにいってみると。

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出店は8個くらいしかなかったよー

すごいたそがれてて、だーれも来てなかった。とよもは木陰で買ってきたベトナミーズロール、やさいをはさんだパンを食べてたらどんどん思い出が頭のなかで自動再生された。10年以上前出店料は30ドルだったけど、接客できなくて、ともだちに『自動販売機やないんやからしゃべらな』っていわれてた、そんなとよも最初数ヶ月たいてい売上0でとぼとぼ帰ってたけどだんだん売れてきてそれでも最高売上は150ドルくらいで、その時は一人の人が全部買ってくれた。オーダーとかうけて、フェルトブーツにビーズでインデアンジュエリーみたいな模様をちくちく時間かけて縫い付けたりしてるのに破格の50ドルとかで売ってたなぁ。

バルメインでの思い出の場所のもういっこは、密かにとよもの家と名前をつけてるちっちゃいサンドストーンのいえ。この家にははむかし大声で叫ぶ猫がいたので、その声に導かれてみつけた。今でも誰かが住んでるみたいで、そのと椅子の上にバスタオルがかかってたけど、もう猫は椅子の下にはいてなかった。

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ねこみちがお腹の上に乗ってきた〜

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みっしゅの5年とよもの10年

昨日みっしゅの写真撮って、昔の写真を探してくらべてみた。

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真ん中が5年前のみっしゅ

着ぐるみを一枚脱いだような。

そういえばきーつが亡くなって今年の3月でもう5年。そりゃあみんないろいろと変化して行くよなぁ。おかんが亡くなって今年の4月でもう10年その間に父も亡くなり。考えてみるととよも激動の10年やったんかもね。

きーつが亡くなった次の年から友だちの猫のシッター初めて、去年はほとんど家にいてないくらいシッターの仕事が増えて来たけどこれもみんな今はいない誰かさん達が遠隔操作してくれてるんやろかね。ありがとう。

それで家に帰ったらみっしゅがぜったいに来てくれるし。

誰か近い人が亡くなったらそれは悲しいけど、こうして年月経ってみるとちょうどその時その経験必要でその瞬間瞬間のつながりが今で、亡くなる悲しい、悪い事とかでなくて、物事はおこるだけそれは体と心で経験の為、それはいいとか悪いとかないんやな、何でもそんな風には考えきれんときもあるけどきっとそうや。

自分がこれは大切な経験や思えて何でも”ほほう、こんな経験が必要なんか”とか思い、経験にこころをわしづかみされて振り舞わされないように、人の事でむかついても、その人のせいでなく自分やで、気づくべきことがそこにあるからむかつく。そんなとこ気ぃつけや〜って誰かさんがいうてる。

先週シッターした犬がそのあとに犬に噛まれて手術して良くなって来たよとお知らせもらったときに、ふとホオポノポノを思い出し、その事についてクリーニングしたら、色々な人が次々思いうかんで皆クリーニングした。そんときはまた他の犬シッターしてたので朝散歩にいったら、朝6時過ぎでいつもは一人くらいにしか会わないのにその日はほんま、10人くらいの人に次々会ってみんながおはようとか、挨拶して犬同士も挨拶して、おまけにし白い鳥の羽も2つも落ちてた。なんなんやろこれ。ホオポノポノのせい?偶然?

人やものごとのことクリーニングすることによって、自分の想いもクリーニングされるということかな。

年末に習ったアクセスバーズもいっしょの事かな。

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野生の王国?

今外でバッサバッサという音とともに、巨大なオウムがベランダに来て、犬のドライフードを足てひょいとつまんでカリカリと美味しそうにたべてる!

cooktoo

そのあと犬が吠えてるのでベランダに出てみたら隣の庭にワラビーが。画面の真ん中の黒い点がワラビー。芝生むしって食べて、またぴょーんぴょーん森に帰っていった。まいにちすごい暑いけどそこらへんにあるユーカリの木とか雨無しでもぜんぜん元気。散歩してたら木に孵化したとことの蝉がじっとしてたりで自然ってすごいなぁ。

warabie

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みっしゅおかき好きやねん

家に帰って、ともだちがくれた、はちみつおかき煎という(これおいしい!)、おっきいぼんち揚げみたいなのをバリバリ食べてたら、みっしゅがどこからともなく起きて来て、しゅたっ!と机の上にとびのり

右手でとよものせんべいもってる手をおさえつけて、せんべいをかじりにくる!

しかたないので、ちっちゃく割ってあげるとばりばり、ぼりぼり、もっとください!と

食べるたべる。そしてすーっとでていった。。。

okaki

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あっついシドニーのお正月。

あっという間にお正月になってしまった。みなさま新年あけましておめでとうございまする。

年末に一日家に帰ってすぐにまた次のシッター先にきています。さすが人気の家政婦じゃあないペットシッターとよも。しかしまた犬。股犬。

ここはみんなが車で移動する高級住宅街で車の運転できないとよもは駅から家まで30分散策しながら歩かなあかん、ねっとりあつく気温36度、おまけにワインなんかも購入したから両手に荷物でしんどすぎ。いっしょに暮らすのはまるっとマル刈りになってるマルチーズ。

お正月でもオーストラリアではそんな気分もなく、ともだちはおせちとかしっかり作ってたりするけど、シッターのとよもは、それもできず、まぁシッターでなくてもおせちなんか作ったことないけど。昔はおかあさんが31日に一生懸命つくるのの手伝いとかしていたなぁ。

おせちではとよもは、黒豆が一番好き、お雑煮は餅がきらいなので餅入れやんといてというたら、それ意味ないやんっておこられるけど、もちでちょっと濃度が濃くなった白味噌の味噌汁はおいしかったなぁ。

今日は近所の眺めのいいところまで犬と散歩。庭に放し飼いのマルチーズさんはあとはゆうごはんまで寝るだけ、ゆうごはんのあとは家の中でくつろぎ、部屋に連れてって寝る。部屋の中にある自分の小屋でちゃんと寝てくれる。猫はいい匂いやけど、犬のにおいはちょっと香ばしさがすぎる。。

年末から陶芸でろくろ始めたからね、ことしはいろいろ薄いものもつくれるかな。ろくろで集中力鍛えてとよもの人生もええかんじになるかもね。えいっ!(集中力の掛け声)

viewpoint

 

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朝焼け177

鼻先にちゅんとつめたい針先くらいの感触でおきたらマロンが鼻つけておこしにきてた。窓の外見るとピンクと水色で染まってる。あーキーツが病気の時は毎日違う朝焼けをマウントクーリンガイでみてたなぁ。それは1分もたたないうちに普通の曇り空に変わる。写真撮ったら177枚目になっててそれを自分のメールに送ったのが5時55分とtop of the worldのマロン

177555top-of-the-world

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いろいろなところで猫と暮らす。

猫も人間と一緒でみんな全然ちがう。歩き方やらご飯の食べ方、声の出し方、匂いもちがう。人間は言葉で気持ちを伝えるけど猫は言葉では伝えない。ただ人間は猫を見て想像するだけ、もしかしてこうちゃうかなとか。この想像するということがすごいことかもって最近思う。想像の仕方というのは人それぞれ。例えば同じ猫についてちがう二人その猫の性格とか何考えてるのとか想像したらそれはきっとそれぞれ違う。

その人の関わり方で猫はどんな風にも変わる。想像にはなんの決まりもないから。けどちゃんとその相手に焦点あわせていくと、それはすごい執拗に観察したり想像の裏をかいでみたり。してることくりかえしてると。なんか自分だけのその猫がうきあがってくるからそれがいまのとことよものアニマルコミニュケーション。かなぁ

 

結局そんなふうに

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猫のことかんがえてると、自分というものも自分できめつけてるけど、Aさんが見た自分と、Bさんが見た自分が違うように自分って自分のの中でも変化するもんなんにゃで。きっと。

といことは。自分ですごいいい風に自分のこと想像していったらええのんとちゃうかな。すごい簡単なことでいうと、とよもは勉強家できなかったそれはよのなかではダメという評価される。けど勉強でけへんかったらほかのことができるやろ。

それでええんとちゃうんって。ちっちゃいときの自分にいうてやりたいわ。

世間のいうダメという評価それだけでそんだけ、もったいなくからまってきたか。

得意なことで仕事して普通に暮らせて。ここまでなかがったけど。よかったわ今なんかわかってきた?。。。

 

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シャ・ノワールみたいな猫、boots

boot

朝日の中のbootsくん

 

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なきつづけた末に膝の上のタイガーくん。bootsがよくタイガーの毛づくろいをしてる、優しい男boots。二匹ともけっこうすりすり派。

心意気について。日本の料理人見習いは昔ドラマで見たけど、はじめは鍋を磨き続けるとか掃除するとかそんなことばっかりで、見習いはなんでやねんとおもうか、何も思わす一心に言われたことするか。

何もおもわず一心に言われたことできる人が修行を続けられる、これはきっと師匠を尊敬してどうしてもその人のような料理人になりたいという他の人にはない心意気があるからかなとおもった。そのこころがほかの思考を入らないようにしているという、ようするに何かを強く求める時に自然になる精神統一かな。普通の人はいろんな思考にじゃまされて納得いかないとかかんがえてしまうもんね。そんな心意気取り戻したいもんだ。