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穴なんか無いのにあるっておもた時それはある。

いつも作品を置いてくれてるハミングカフェでみつけたちっちゃいブーケ、このうすピンクの蕾の花は初めて。Blushing brideという名前とお店の人が教えてくれた。いつもセンスのいい組み合わせのFLOWER STORIESさんの作品。シッター先の猫たちも花が気になるようす。

 

『自分の意見を綺麗なケーキみたいに建前仕上げてしても、ついでにその中に黒いものをいれたりしてしまうものなのよね』

友達の言葉が腑に落ちた昨日

ううっ。とよも試練中。

この前TAFEの陶芸教室で、『私はコミニュケーションができてないから』俯き加減に言うたあとに、うわぁこれ演じてる自分ってすぐにわかった。そう言うことによって大丈夫だよって言葉を引き出せるって知らないうちに知ってる自分。

こうやって、空いてる穴をちょいと埋めたりして生きてきたんやね。

穴なんか無いのにあるっておもた時それはある。

これって、おかんがいうてた

お腹すいたと思うから、お腹すくねんと一緒。おかん哲学者。

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跳び箱の神様

ちっちゃいときから、勉強できなく、運動できなく、絵くらいかな普通にできたん。でもな、テストのときだけは跳び箱6段飛べて、その時確かに誰かが背中押してくれた感覚があった。

ほめられもせず、特にできることもなく、何にもできない自分という考えとともに生きてそれ相応にできない人の人生たどってきた。そのなかで宝石みたいなことば『とよちゃんはやさしいなぁ』っていうてくれた近所のおばちゃんかいてた。子供やった私を見てどこがやさしいって思われたんやろっておもう。それなりにストレスもあってこっそり悪いこともしてたし。きっと何も無い自分を知っててこどもごころにやさしさを演じてたのかもなぁ。

そんなとよもが大人になってグラフイックデザイナーとして働いてた時、なにもかもかっこええフォトグラファーと仕事をし、きっとこの時、雲の上とつながって自分で自分の好きな物創るようになった。そのあとこれまたかっこええオーストラリアのフォトグラファーに出会い、なにもかもぶっちぎってオーストラリアに移住。

これは今考えても、不思議としかいえない。海外旅行もきらいで住んでるとこと会社以外見てなかった自分をかってにむかし背中押してくれた神様がすごい力でまた押した。

日本からでて、日本で作り上げた冴えない自分が無くなるまでかかった年月24年。

なんかわからんけど、うじうじなやんだり、心配の袋の中にすっぽりおおわれたり、人をぐっさり刺したり、機嫌が悪くなって操縦不可能になったりするのはもうやめたいってすごいおもう。

 

跳び箱自分で飛んだんと違う

そのとき誰かが押してくれたから。

自分の人生はじぶんでなく誰かがいつも動かしてる。

跳び箱の神様がいつも今ここにだけいとけよっていうてる。

ほんなら、かってにいろんなことが流れてくるから。

なんにも、そこでつかみ取るとかつづくことはない。

出て来ては消えていくもんばっかりやで。

それを楽しんでや。

そうやったらなんにも無くしたり恐なったりすることもないし。

今流れて行くものつかんで自分のもんにしようとした瞬間

それを失くす恐怖とかがでてくるねん

流れてくるのんみてそれで自由に遊ぶだけ。

跳び箱の神様が自分を通して何かを創りたがってるだけ

創造したいようにさせよう、ながれるままにあふれださそう。

 

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造形専門学校カペラゴーデン

とよもが2007年にリンカランという雑誌の別冊で知った 、スェーデンのエーランド島にある小さ全寮制の造形専門学校カペラゴーデン。。
1957年に農家を改造してできたこの学校の創始者はスェーデン人の家具デザイナー、カール・マルムステン。自然の中で必要な物は自分達の手でつくり、生徒は家族のように一緒に暮らしお互いに影響しあい自分の制作に没頭する。木工科、陶芸科、テキスタイル科、園芸科があって入学試験はなく、年齢制限もない。履歴書と志望理由、自分作品の写真提出のみ。でも受かるのはほんの少人数なので倍率はかなりきびしいみたい。
その雑誌をずっともってて、いままた、カペラゴーデンにいきたい病が再発した。
こっちでも、日本人の先生の陶芸教室に行ってるとよもはまずそこから変えて行こうと決断、こっちの陶芸教室にいってみるぞ。
鳩の置きみやげ
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みっしゅの5年とよもの10年

昨日みっしゅの写真撮って、昔の写真を探してくらべてみた。

misyu2017
真ん中が5年前のみっしゅ

着ぐるみを一枚脱いだような。

そういえばきーつが亡くなって今年の3月でもう5年。そりゃあみんないろいろと変化して行くよなぁ。おかんが亡くなって今年の4月でもう10年その間に父も亡くなり。考えてみるととよも激動の10年やったんかもね。

きーつが亡くなった次の年から友だちの猫のシッター初めて、去年はほとんど家にいてないくらいシッターの仕事が増えて来たけどこれもみんな今はいない誰かさん達が遠隔操作してくれてるんやろかね。ありがとう。

それで家に帰ったらみっしゅがぜったいに来てくれるし。

誰か近い人が亡くなったらそれは悲しいけど、こうして年月経ってみるとちょうどその時その経験必要でその瞬間瞬間のつながりが今で、亡くなる悲しい、悪い事とかでなくて、物事はおこるだけそれは体と心で経験の為、それはいいとか悪いとかないんやな、何でもそんな風には考えきれんときもあるけどきっとそうや。

自分がこれは大切な経験や思えて何でも”ほほう、こんな経験が必要なんか”とか思い、経験にこころをわしづかみされて振り舞わされないように、人の事でむかついても、その人のせいでなく自分やで、気づくべきことがそこにあるからむかつく。そんなとこ気ぃつけや〜って誰かさんがいうてる。

先週シッターした犬がそのあとに犬に噛まれて手術して良くなって来たよとお知らせもらったときに、ふとホオポノポノを思い出し、その事についてクリーニングしたら、色々な人が次々思いうかんで皆クリーニングした。そんときはまた他の犬シッターしてたので朝散歩にいったら、朝6時過ぎでいつもは一人くらいにしか会わないのにその日はほんま、10人くらいの人に次々会ってみんながおはようとか、挨拶して犬同士も挨拶して、おまけにし白い鳥の羽も2つも落ちてた。なんなんやろこれ。ホオポノポノのせい?偶然?

人やものごとのことクリーニングすることによって、自分の想いもクリーニングされるということかな。

年末に習ったアクセスバーズもいっしょの事かな。

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思い込ん太郎

昔そんな言葉を使ってた。思い込みの激しいひとのこと。

とよもはさいきん、思い込ん太郎から離れてきた気がする。思い込みというか自分が作ってひとに押し付けてる(あてはめてる?)価値観がうすれてきたみたい。というのもとよもは好き嫌いがきっぱりしてて、それはいつも一瞬に判断されてた。でも最近思い込みが溶けてき、ほんまのそのものを感じられるようになってきたと言うたらええんかな。

先入観無しにそものもを感じれるようになってきた?。

人でもアートでも。何かそのもの自体にある素敵なところが、今までの自分がつみあげてきた価値観が消滅することによってわかるようになってきた。

話は変わって、シッター先で今は毎日犬と寝てる。

朝起きたらとなりに犬、パジャマ毛だらけ。

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家の中ではどんな時も絶対についてくる、ソファーに座ったら絶対自分のどっかをとよもにくっつけてくる。なんなんこれは。寝てても起きてついてくる。せわしなさすぎ。不安なんかな。まだ子どもやし。ちょっと男前でもある。ちょっと犬くさい。

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おちつかなーい

昨日からキッチンリノベーション中の家で猫シッター。キッチンが使えないので地下のランドリーでキャンプみたいに携帯コンロで調理。でもキッチンは2階で冷蔵庫もそこにあるからいちいち素材を2階から降ろして調理、そのうえ全ての階段にダンボールがおいてある。大工さんが土足であがるので汚れないように。それが滑って危ない!みみちゃんも足踏み外してたよ。

ベッドルームは3階でそこはもうリノベーションおわってるから落ち着けるけどワイファイが届きにくく、いまはキッチンの横の工事中ですごい混沌としたところでまさしくラップトップで作業中。

デッキで卵焼き。草のうえがきもちええわぁーのみみちゃん

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先月刈った羊毛を毛糸にするクラスに4回いってきて、毛糸ができたよ。はじめはすごいむつかしくて、諦めてたけど数回したらできるようになった。ふんわりした羊毛から魔法のように細い糸が紡げるようになったよ。といってもまだまだ不揃いやけどそれがまたかわいい。

一緒に行った友達は380ドルで中古の糸車?買ってた。

写真グレーのコースターが最初に綺麗にカーディングされた羊毛で紡いだもので、白が刈りたての原毛を大きなブラシでゴミ落としながらふんわりさせてから紡いだもの、これは何回洗っても羊くさい。下のグレーと白のが一番最後にしあげた毛糸でこんな風に出来上がりの糸をねじねじにする方法もおそわった。

自分で紡いだ毛糸のコースターは手に取るとふんわり柔らかく、機械で紡いだけいとにはない柔らかい暖かいエネルギーが満ち満ちてる。こんなのでセーターとか作って着てみたいわぁ〜

人間はすごいな、ふわふわの羊の毛を刈って毛糸にする後術あみだして、それをかぎ針つくって編み出すことまで考えるって、携帯発明するよりそんな自然な発明の方がなんか好き。

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ああ、わたしが笑いたいようにわたしを笑わせてあげたい

この言葉は”幸福は日々の中に”http://silentvoice.jp/whilewekissthesky/という映画のコメントのなかの一節。とよもがここ数年いろいろいろいろ探しまくってたことへのかみさまからの答えみたい。この映画のディレクター茂木綾子とヴェルナー・ペンツェルは2009年に淡路島の廃校で始めたアーティストコミュニティノマド村ノマド村サイトのときからなんか惹かれてた。

映画のサブタイトル

そのままでいい、何も学ばなくてもいい。

 

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相手を信じ切るあんど自分も信じる!

前回の本当の自分に出会わないまま人生を終る件について、とよもは自分でもそうなんとちゃうかなって思いながら書いてた。ほんで今日、ほぼ日で糸井さんが書いてた事読んだ

今回のオリンピックでも、
何人もの選手たちが、じぶんなりのやり方で、
「心配ない」をつかむようすを見ていた。
たとえば、女子卓球の三位決定戦。
伊藤美誠選手が勝って銅メダルが決定したが、
あのときは、次には石川佳純選手がいる、ということが、
思いきりのいい試合をできる支えになっていた。
さまざまな競技のなかで、そういう場面は多かった。
男子400メートルリレーのバトンは、
受ける選手と渡す選手が、相手の動きを信じきることが、
すばやく確実なパスの方法なのだという。
じぶんのことも相手のことも、信じきって
「心配ない」というところまで練習してきたという。

 

自分を信じ切る、相手を信じ切る。

しかしながら、信じ切るって、どうやったらええん?

”全ては自ずとから決まっている事それにゆだねればいいんじゃよ”。神の声

でなことで。信じ切るということは

今起こったことは、もうきまってることやから

身を任せるほうがお得ということらしいてす。

身を任せるとは、ほんまおもたそのままで

こうしたら怒られるんちゃうかなとか

こういうたら嫌われるんちゃうかな

こうしたら、皆が自分を好きになってくれるんちゃうかな

とか

そんなこと考えんと。ほんまそのままの気持ちを勇気を出してゆうことで始まるらしい。

それが心配無いで〜ということになるらしい。これって糸井さんの言うてる極限まで練習してして心配ないというとこまで持っていくのとは違うけどね。

闇雲に信じ切るというか、起る事しか起らないからどうしようもない、それでそれは全て必要な事で誰の責任でもないのかなぁ。。。

 

 

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本当の自分にあわないまま

シドニーで一流企業と呼ばれてる所で5年以上働いてた友達が、今月アメリカのミネソタ州の専門学校にい一年行くことに決めた。そこで管楽器の修復を習う。

友達の今までの仕事は忙しく常に新しいことを勉強しながら精神的にも体力的にも無理を重ねていたみたいで、自分がやりたいことをずっと水面下でさがしていた。彼女はトランンペットやウクレレやバイオリンを演奏できるし音楽が好きみたいなので、最終的に管楽器の修復にきめた。

とよもは、そんなともだちのことがすごい嬉しい。安定した生活を捨てて新しい土地への移動はけっこうパワーはいるもんね。でも自分のことかんがえてみるとそんな時はなにかに憑かれたように、ちがうところから動かされてるみたいになってたなぁ。宇宙の采配?

ほとんどの人はなにかに縛られ世間とかを気にし、自分に起こる自動的思考に慣らされて本当の自分に出会わないままこの人生を終えるのかもなぁ。そんなんもったいなさすぎる。せっかくすごい確率で産まれて生きてるから、自分が楽しいこと好きなことみつけて仕事につなげていくほうがぜったいにいいとおもう。最初はうまくいかず苦しい生活になるかもやけど、1−2年つづけるとだんだん状況は良くなってくる。とよもはカジュアルパーマネントのデザイナーの仕事辞めてからもう16年、なんとか自分で生活できて最近は自分のためにお金使うこともできるようになってきた。スーパーの野菜とかでも6ドル以上のものは高いとおもって買えなかったけど、いまや、$7、99のホワイトアンチョビも買える!

TIGER3

太陽の光がシャワーみたいできれい。爪が布団にひっかかってる。

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シッターの仕事って幸せかーも。

昨日夜のことじゃった。リースとえびすの御家族が一日早く帰るよー、って夜7時頃電話があって、後一時間で帰ってくる家族、『どうしよう、とよもはもう家に帰ろうか』と荷物とかまとめてた、帰って来た時に、『この時間ならまだ家に帰れるので帰ろうと思います〜』というと『夜に帰るのはよくないよ、気にせず泊って行きなさい』と夫。それで小学生のこどもふたりと夫、リース、えびす。みんな男やん。。。と過ごす事に。

それで、みんなでなんか怖い気持ち悪い映画を見ていて、ちいさいこどもは本当にこわいらしく、『もう10時だよ寝なきゃ』とかいってみんな歯みがいてねたのでした。友だちの夫はオーストラリア人だけど日本語話せるのでよかったー。子供達も日本語で話してくれたから楽しかった。まだ天使のような年頃の子供達はほんとうにかわいわ。テレビ見てるときえびすがとよもの膝の上で寝てくれてた。

あさになると、ご主人がいるのに、りーすがいつものように起こしに来てくれたのもすごいうれしかった。こうして、対人苦手の壁をこわしてゆくのか。これも与えられた大切な経験だわ。みっしょんこんぷりーと!りーすってもうすぐ11歳やて、それにしてはあの遊びの粘り強さ、海への小走り、若い!

日当りのいい所にベッドを移動したら二人で熟睡してた。えびちゃんの性格、猫にしては稀に見るフレンドリーで怖いものなし。りーすよりもじぶんが上みたいにふるまうど根性。リースは子供の部分を残していても熟考のできるやさしい男、深い愛にみちあふれて、うんちはおおもり。ああこんなすばらしい方々と暮らせるとよもは幸せですわ。

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