ほなさいなら

きーつが今日6じ38分にさいならといってしまった。
昨夜3回強い引きつけがおこったので今日もそんなだと安楽死したほうがいいかなとおもったけど、きょうは朝からずっと寝てたのでそのまま様子みてた。
夕方からまた引きつけがはじまって、でも昨日くらい全身のきついのではなかったので最後まで自然にした。
きーつが引きつけでくるしんでるとき
くるしむことにどんな意味があるのか頭が考えだした
苦しい本人と、そばにいてくるしい人と
くるしみは、その経験を強く胸の中にのこすようにある事柄のようなきがする
なにかををなくする苦しみは
そのものと共に消えてなくならないけど
それだから、亡くなったなにかにいつまでもありがとうと思えたりできる
ひとりひとりと、ささえがなくなり、そのときどきにしずかに産まれるものは
その関係性のなかでずっとつづき成長してゆく
苦しんでるのが自分なら、そこにはきっとまたそれをみて苦しんでる人がいる。
苦しんでる本人と、それ見てるひと、それがつながりことがらがうまれる
たすけてあげようとしたり、いろんなことしてみたり。
そういうふうに考えると、苦しむ事もあるべきしてあるといえるし
くるしみの種まいてる自分のことも外からみれるようになって
しっかり感謝せななっておもった
色んなかたちで、今まで心配し元気をくれたりいろんな情報をおしえてくれたみんなにわたしたちは、こころから感謝しています。
きーつととよも

“ほなさいなら” への10件の返信

  1. 苦しいのは出来るだけ無い方がいいと思います。でもあるのが人生ですよね。
    分かってるけどつらいです。
    『ほな。さいなら。』
    次も逢えますように

  2. ご冥福をお祈りします。
    とよもさんに看取られて、キーツは最後まで愛に包まれ・・・、本当に幸せな猫さんだったと思いますよ。
    涙・・・

  3. 天の昇ってしまったのですね・・・。
    今までとよも姉さんを支えてくれてありがとう。
    これからは天の国から見守ってあげてください!
    先に行ってるウチの子たちと会えたかな?

  4. 4年前の4月半ばに里帰りした時、夙川公園の桜並木をみて思った事があったヨ。
    結局、実在本当の自分とは時間と共に過ごしているこの肉体でなくて、記憶と言われている意識の中に時間を超えて漂える魂なんだろうな。ってね。
    心の中に息づくキーツにこれからもいつでも会える事に喜びを見いだせると良いよね。

  5. みんなありがとう、明日キーツの体は燃やされ灰になりなす。いま気づいたけとよもはすごく頻繁にきーつに話しかけていたんだ。いなくなると部屋がしーんとしてる

  6. きーつありがとう。
    苦しんでいたきーつをずっと見ていたとよもさんを見ていたみんな。
    それを見ているそばにいる誰か・・・
    ずっとちいさなインパクトがきーつの死によってさざなみのように揺れている。
    天国でゆっくりしてるかな、きーつ。

  7. なんかいも気配の消えた部屋をみまわす、風でゆれーるカーテン。庭の木には満開の黄色い花。

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