らしい?らしい?って

自分らしいって、なに?

分かってるっておもてた自分のことがほんまはわかってなかったという発見

もんちゃんありがとう(もんちゃんはinsutagram森田料理教室の哲学者的会話ができる息子さん)。

 

とよもは現実ドラマに翻弄されてて、その中で問題解決するまで色々頑張ったり苦しんだりしてたけど
結局みんなが違うしそれはそれでええし、進んで自分から人のことに口出しして新たなドラマ作らんでもでもええし
人がどんなふうに自分に接してもそれは自分の問題でもないから
へぇ、そうなんやとおもうだけでええんや。
今まではその子のためやとか思いながら忠告とかして
本当は自分が優位に立つ気持ち味わいたかったんやと思う。。。きゃーー
なんでそうなるのか、そのわけがわかった。
自分の小さいときから考えたら、
引っ込み思案で自分の意見とかほとんど言えなく
自分から友達にしゃべりかけることも不得意で
それで仲間はずれとかでいろいろ不安がつもってて
大人になっても愛されてない感持ち続けてた
ほんで、やっとアートとかデザインので仕事で稼げるようにはなったけど
仕事では人のうえに立つといつも厳しく下の子のきびしく詰め寄ったり、
自分の考え絶対曲げない(そのときはそれが正しいとおもてた)で問題起こしてたなぁ。相手が悪いと思うことで自分を守ってた
子供のときから積み上げた自分はダメやって考えは今までずっともってたから
いろんな方法で、いい子やなーとか言われるように仮面被って頑張るか。
いろんなシーンで、教えるという疑似餌さで、
自分が偉いという権力を振り回してた。
でもその下には不安や怒りもあったから
ここで出せる!というときにがっつり怒りが大噴火てしまい、
あらまぁひどい人!という人生。
でもそれは、愛されないこのままの自分ではだめと
強い自己否定があったから。
小さい頃はコミニュケーションが苦手だったので
はなしもしないでひとりでいて、意地悪な子にいじめられたりしてた
それは3人兄弟でいつも自分だけ成績わるくて肩身の狭い思いかってにつのらせてたから。
ほんで昨日、自己否定すてた。
自分が自分好きにならな幸せなんかありえへんことが腑に落ちて
おもわす手を叩いた。
ぱん!
これは自分の人生のはじまりかもめ。
今はいままでの自分を大変やったなって愛せるし、
もう人生ドラマからなるべく抜けてみんなひとつの楽しい生活おくるわ。笑
あーやっと自分の怒りの原因がクリアにわかってよかった。

いまおもてる自分は自分が体験したことから出来てる。

 

嫌なことだけがくっきり残ってて

自分は繊細で傷つきやすいとおもてたけど、それは多分いつも

注目から外されてるのではという不安

もしくは全然違うバイブレーションの人が周りにいると、そのなかに入って行けずにその状態をのけものと考えてしまっているネガティブ思考。そして傷ついたと感じる。そのままとじこもり、最後はやりばのない怒りがうまれてくる。。。

ずっと離れてた自分のブログを今見直して、今必要なことを過去の自分が教えてくれてる不思議。。。

 

 

 

 

お面をかぶせる

とよものシッターキャリアで最長6週間の仕事が今週金曜日で終わるよ。

お客様はリタイアした仲良し夫婦と暮らす、優しい男プリンスとすごいテンションの高い女子FOMO(The fear of missing outという意味らしい。。)は名前の通り私私といつもぐいぐいとよもに迫ってくるし、散歩してると他の犬にウウッーーとか言うし、友達が来ると噛む!のですごい大変。。。お二方ともダーウィンに住むここの夫婦の子供(と言ってももう結婚してる)がさまよってた野良犬を保護して、ここに連れてきたそうだ。

多分その前に仲良し夫婦は愛犬を亡くしていたから州をまたいでまも届けに来たのかも。プリンスが先に来てその数年後にまたもやFOMOも連れてきたらしい。

優しい男プリンスは本当に優しく人間のほとんどの言葉は理解できて、ちょっとそれはないで!という時に特別なコブシをきかせて、ブツブツ文句も言う、、、それを聞くと悪いけどすごい笑える!

FOMOはもうやりたい放題!叱ると、なんでやねん!と言いなが辞めるけど、そのあとこっちを睨むFOMOの瞳に炎が見えて、その度とよもはなんだかなんとも言えない気分になる。

お二方とも一人で生きる厳しさを淡々とやり抜いてきた。当たり前やけど野良犬生活を同じように送ってても、性格全然違うのでやっぱりもって生まれたものがあって、どんな状況でもそれはずっとあるということは人間と同じ。

今回このお二方と長期にわたって生活して、いろんなことにすぐ対応して反応するお二方に翻弄されながら、ああこれが今を生きるということかぁ、ってなんとなく感じた。特にFOMOは自分に素直で止められないパワーがすごすぎて大変やけど、その純粋さに我が心が揺さぶられる。

無意識は観念や情念の沈殿物であると、今読んでる本(ブーバに学ぶ、斎藤啓一)に書いでた。勝手にふんわり浮かんでくる考えが無意識の元になるんや。。。ということは無意識って産まれたてのなんにも経験がない時にはないのかなぁ。。。意識が生まれるのは生後6ヶ月以降とかどっかで読んだような、とすると生まれたての赤ちゃんの無意識は何?無意識がない意識??過去生の沈殿物?うーん。。。

FOMOって天然でそれはなんとなくすごい自由で素敵にも見える。

ここは私の場所!としたいところには布団の上でもおしっこしてマーキングやったるで!最初はびっくりして怒るとよも(掃除とかのこともあるし)でも、しょうがないよな、犬なんやし。。。

ということで、違う考えも受け入れるように体験レッスン超厳しいとよもの先生FOMO。

ロッテンマイヤーがやる嫌味な言葉や態度も、これからロッテンマイヤーの顔にFOMOのお面をかぶせる想像したら笑ってすませられるかもなぁ。。。

何で?写真を撮るとFOMOはなんとなく、よいこふう?

 

 

 

なんでもポジティブに受け取る癖をつけてみる?

物事に対しての自分の捉え方で、体験も変わるって、昔自分がブックマークしてたサイトに書いてたのを今日見つけ、必要なときに必要な情報が目の前に現れる凄さを感じた。。。

それは別に新しい考えでもなく、みんなが知ってることなんやけど、いつも忘れてることでもある。

前にも書いたけど、うちのオカンが

とよも『寒いー』

オカン『寒いと思うから寒いんや!』

その時は、ほんまに寒いんにゃ〜とおもてたけど、その意味は気温が低いと寒く感じるけど、自分の意識を寒いから離して、他のことに熱中したりすると、寒いことは忘れてしまう。そんなことか?。

しかしまぁいっつも熱中してるわけでもなく、というかぼんやりしてる時間が最も多いけど、今感じてることが嫌なら違うこと考えてそっちに感情を移行させる術を学ぶべきということ。

もやもやしてたら、あっ!もやもや!!と気がついて、空を見るか、目を瞑る。何もない、もやもやもない。すごい簡単。頭の中の自動再生装置スイッチオフ。自分がからのパイプになる。

そうすることを続けてると、シッターで犬の散歩している時も『2匹は大変ねぇー』と微笑まれたりして、からのパイプに優しい感情がちょっとづつ流れ出す。

とよもはなんでも責められてる、やばい!と思う癖もついてると思う。

けど、『責められてると思うから、やばい!と思うんや』にして

責められてるのでなく、考えが違うだけにしとく。か、ほうほうそういう考え方もあるんや。とのほほんとする。それで私の周波数は滑らかに変わるんかなぁ。。。

これは星雲(Nebula)というものらしい、

星雲とは、輝いた雲のように見える天体。大部分がガス状の物質からできているものと、無数の星が集まっているものとがある。
人間も宇宙の一部という声が昔聞こえてきたから、私たちはこんな写真みたいな集合体なのかと思えば、だれがどうしたとかもう関係な〜い。って気持ちにはなるね。

神様的力ってほんまにあるんや。。。

9月17日からもうずっとシッターがつづいてて1月22日まで家に帰らなーい。ペットシッターという仕事がどんどん来てありがたすぎる。

シェアメイトのロッテンマイヤーと上手くいかなくもう3年も暮らしてて、すっと会うのも嫌で、なるべく会わないようにしてたから家にいててもリラックスできてなく、そうなると心はどんどんネガティブに。。

いろいろ対策とか話し合いとかしても、また他のことで嫌やーってなる。もうこれは、自分のかんがえかたを変えていくしかないって、隣の部屋でロッテンマイヤーが娘になんやかんやキリキリ話してるのが聞こえてきてもとよもは鼻歌で気分よくとこころがけてた。

自分と周りの世界の成り立ちとか、量子とか気とかも色々ネットで検索して、自分を自分でどう動かしていくのかということははっきりわからんかったけど。まぁ自分で自分をハッピーにできるよう心がけるだけで変化は起きてきた(変化まではかなり長かったけど、起こったらもうパタパタ黒が白に)。。

要するに自分の気持ちがハッピーになったら、今度は神様的力が自分をフーッといい方向に運んでくれる感じ。

ちょうど、そんな時に以前すごい影響された、藤井風のGlaceという曲を聴いていろいろな解説動画見て、ああやっぱり神様的力ってあるんや。しんどい時でも頑張って自分のあり方を探してたら、ふっとあるとき楽になるんや。

相手のせいと思ってたらその問題はズーーット解決しないことも分かった。結局それでは自分んがネガティブやから。。

人生の転機1、大昔大阪でグラフイックデザイナーの仕事してた時であった写真家の人に『なんでこんなクリエイティブな仕事してない会社で働いてるん』と言われて、うわぁ!って目が覚めて会社辞めて新しい会社に入って、短い休みに友達が働いてるオーストラリアに行った時に、運命の人に出会いその人を頼りにオーストラリア移住した時となんか似てる。その時はその人によって、目が覚めたけど、今回は自分で探して見つけ出したことで、流れが幸せな方向に変わった気がする。

https://www.youtube.com/watch?v=rSYoIuyks8g

passive agreshib受動的攻撃

山の上の教訓?

木々に囲まれ鳥がさえずる山の中、早朝の谷底にはいつも霧が雲みたいに見える。そして家にはとよもが大好きな暖炉がある。

焚き火はもっと好きやけどなかなかできることがない、暖炉もなかなかある家は少ないけど今回のシッター先にはあった!。でもおおきな薪を燃やすことは結構難しい、紙に火をつけて燃やしてもなかなか薪に火がつかない。散歩で葉っぱや小枝を集めてきて燃やしてもずっと雨で湿っててなかなかつかない。

今日は朝からずっと暖炉に火を入れることに集中して(好きなことにはすごい集中力を発揮する)、やっとメラメラと大きなマキに火がついた!でもすぐに触りたくなるとよもは変な風に薪を動かしてまいカルシファー(『ハウルの動く城』に登場する火の悪魔)沈没。なかなかむづかしい。

薪に火をつけながら、人生の教訓的youtubeで、全てを自分のせいとして引き受けると逆境ものり越えられるみたいな話を聞いてた。以前にも何回も同じようなことは聞いてるけどなかなか納得できず。また聞いてるし。。。

自分のエゴがそんなこと素直に認めるはずもなかったけど、昨日新しい言葉を発見して、ぎくっとしてからなんかやっぱり自分なん?という気分に。その言葉は

passive agreshib受動的攻撃。

具体的にどんなことかといえば。相手に対して、消極的かつ間接的に不満や怒りなどを伝え、攻撃すること。たとえば嫌な人のこと無視することによって相手に何らかのストレスを与える。影で相手の悪口を言ってその人の足を引っ張る。 要するに面と向かって意思表明できないヨワヨワな人が自分のストレスが収まるように間接的にとるせこい行動。

これは日本では結構よく見られる行動と思うけど、意思表明をはっきりするアメリカなど海外ではすごく嫌われることらしい。。

あるあるある、とよもやってるやってるここは海外オーストラリア。

passive agreshib受動的攻撃。ちっちゃい頃から、やってたなぁ、ベッドの下に誰々のアホ!とか書いてたなぁ。ベッドの下なんか誰も見ないから攻撃にもなってない、もやもや解消法やけど。。

消極的かつ間接的に不満や怒りを伝える。

これをやめよう!堂々と相手に言おうぜ!。

こうして、やっぱり嫌なことが起こるのは相手のせいだけでなく、自分のせいでもあったんや。。。

もうシェアメイトに意思表明もした後やし、種火にも灰かけて完全鎮火。

この炎とともに、怒りは天に昇ったと思いたい。。。

Dance with Galaxies

厳しいシェアメイトロッテンマイヤー最終回。

ある日友達に、ロッテンマイヤーがこんな意地悪するねんとかとうとうと話してたら、友達が一言

そんな嫌やったら、私に言わんと本人に言わな!

うううっ!そうやんね。

今まで2年間ずっと嫌で避けまくって生活してるけど、そのことを本人に言うことは避けてた、以前数回話してみたときはこんな感じ。

と:共有スペースの掃除は交代でしませんか?

ロ:私はいつもしてる。で終わり。(実際やってないやん!)

と:私の髪の毛をトイレットペーパーの前に集めるのはなぜですか?

ロ:集めてない、掃除機をそこだけかけてないから集まるのよ(あなたのいない時は集まってないやん!)

 

何言うてもぴしゃりと取り下げられてこっちの意向をロッテンマイヤーは全然受けいれへんことは何回かの会話でわかってたし。でもここまで嫌なことが積もってきたらもう、自分の精神も粛々と蝕まれていってるはずやし、ここでひとつ勇気をださな。。。

6月25日土曜日の朝、何がとよもを動かしたのか。。。

思い返せばその前の夜に

死ぬ瞬間キューブラー・ロス

と言うyoutubeみてた。

今ある終末医療(緩和ケア)と言う病院でのケアを作った人らしい。この人は主に患者との対話で最終的に愛を与え受け入れられるような心に向かうように色々な対話でしながらそのことを理解でき、全ては繋がってる大きな宇宙のようなもの。みたいなところまで考えが広がるようにサポートしていたのかなぁ。。

本人が患者にそういうサポートしてはきたけど、自分が年老いて脳梗塞で体の自由がきかなくなった時、彼女は、神様はヒトラーだ!と言ったそうで、なかなか理想と現実は一致しなのは誰でもなんや。

けど7年もの長い動けない生活で最後には、人生は愛を与え、自分でも愛を受け入れられるようになれた、みたいなことを言ってその姿が一番可愛かった。

受け入れるlife lessonは宇宙のダンスみたいな言い方もしてた。これはお互いの関係性は宇宙の星の位置関係のように決まってるから本当はその通りに経験して自分は愛をわかっていけるということかな。

そういうストーリィを見て、とよもはきっと、憎たらしいと思ってるロッテンマイヤーも同じ宇宙の星の一つ一つで、憎たらしいと思えは楽しいダンスはでけへんな。。。とか半分無意識でわかってたのかもな。

 

 

土曜の朝キッチンにいてるロッテンマイヤーに気がついたら話しかけてたし。。。

こんな理由で、話がしたいと何回言うても、私はあんたの英語が理解できないと言い張るので、家主さんに入ってもらって話しましょうと提案して、ちょうど家主さんも今日は時間あるということでお昼過ぎに話し合いができるように段取りできた。

そのことキッチンにいるロッテンマイヤーに伝えに行ったら

ロッテンマイヤーはこっちをぎらりとこっちを睨んで、ため息ついて大声で、私はいまポッドキャスト聴いているのよ!(携帯の画面を何度も指で叩きながら。。)とマジ叫んだ。とよもは固まって2歩くらい下がって退散しようとしたら、ロッテンマイヤーはイヤホン外してこっちに来たので、1時からのミーティング家主さんも大丈夫です。と伝えた。。

あああーこわっ!!

ポッドキャスト聞いたことないとよもは、友達にポッドキャストってライブだけなん?って聞いたら、ほとんどのポッドキャストはアーカイブが残るから、その時止めても大丈夫やでって教えてくれた。なんや、それやったらあんなカンカンに怒ることないやんね。

 

そして家主さんの裏庭のテーブルで私と家主さんが座ってたら、なんと!

’’サングラスをかけて、さっきは普段着でカンカンに叫んでのになんかオシャレして大きなスカーフまで得意げにまとって微笑みながら来るやんか。。

なにそれ??なんで裏庭にオシャレしてくるん?

話し合いのためにとよもは事前自分が困っていること書いた紙を握りしめてた。

家主さんが話のはじめに、とよもは日本人で日本人は自分の思ってることなかなか表現できない国民性がある。そしてロッテンマイヤーは英国人でこれまた同じ気質を持っているから二人のコミニュケーションはうまくいかないみたいだね。みたいなこと言うたらいきなりロッテンマイヤーは

あーら、私はもうオーストラリア人のようになっているわ!というのを聞いて、とよもは腰を抜かしそうな気持ちになった。

ちなみにオーストラリア人は、陽気で思ったことそのまま言うすごいシンプルなところがある。。なんでも細かいこと気にしない、関係ないよーで終わる。dosent matterポリシー。

とよも、。。。。。え?まじ

ロッテンマイヤーが陽気なオージ気質?

そうは思えへんけど。。。。

 

ということでとよもは3つ言いたいこと言ってロッテンマイヤーは2つを受け入れ一個はとよもが受け入れるということで話し合いは終わった。

とよもは2年間言えなかったことが、家主さんのおかげで言えて、これがブレイクスルーというやつか!となんとなく、いやすごく嬉しかった。

結果また同じに戻ったとしても、家主さんが事前に教えてくれた、そんな言い方されても気にしない、それはただ彼女の問題だから。ということを心に留めたらちょい楽になる、し。

逆にあなたは思い込み激しすぎ、私なら(家主さん)そんなこと気にならないわとかも、ああそうなんかってわかった。

 

ブレイクスルーの前

6月22日に、コロナの時からずっとクンダリーニヨガと瞑想でみんなをサポートしてきてくれてる、Yukie Tsunoゆきちゃんのクンダリーニ・ メディテーションコミュニティ

でマントラや誘導の音が大きくなったり小さくなったりノイズが出たりしてイライラしてしまい。最後の感想も言えずに退出してしまった。

それでゆきちゃんにあやまりのメールしようとしたら、ゆきちゃんから

丁寧な自己観察のシェアは、いつも私にとっての学びに満ちていて、また、瞑想やクリヤを通して変化していく様子を聞かせていただくのは、私にとっても大きな喜びです。

というメールがきてびっくり。とよもの体験をみんなにシェアしてもいい?と聞かれたので、もちろん!と

ほんま何がどうかわからない、、イライラの怒りがブレイクスルーにつながる重たい蓋をしたから開けるものすごい力になってたんや。。。

怒りもたまにはええ事になるんや。。

ありがとうみんな

Dance with Galaxies

新しいネガティブでない脳内劇場

シッター先で猫とくつろいで昨日帰ってきたよ。

もう何も気にしない教、妄想しない教に入る。

音楽聞いて自分の内側で楽しむ。

この2年ずっと戦ってきたものは、昔の染み付いた疎外感から自動的に醸し出される脳内劇場、それってほんまはないものやし。それに集中してしまうと何でも敵になってくるし。

そんなことがわかってきた。

私のトイレットペーパーが、私のいない時に勝手にロッテンマイヤーによって棚の中にしまわれて、ボロボロになってるけど、最初はロッテンマイヤーがこんなにしたんや!とおもたけど、トイレットペーパは勝手にふんわり垂れ下がって勝手に敗れた後しまわれた。という新しい脳内劇場も今朝始まって、

うん?これはなんか新しいネガティブでない脳内劇場やな。

それで朝日に向かって川沿い歩くと、真正面に太陽があってそれはなんかすごい祝福の光りみたいで帰りは太陽が背中を温めてくれた。

それで長いこと会えなかった、打ち捨てられたような家の周りに10匹くらいいる猫の中で一匹いつも膝に乗ってくれる黒猫にも会えた!

久しぶりやん、ガリガリ黒、かっこええ!

ガリガリ君

 

 

 

自由こそが最初で最後の一歩である

結局ロッテンマイヤーは、この前ブログ書いた、次の日に田舎(田舎の方に自分の家があるけど、そこでは仕事がないので出稼ぎに来てる)から帰ってきたけど、とよもはその次の日にはまたシッターがあったのでうまくかわして一回も顔合わさないで出てきた。

そのシッターは4日間だけやったけど、12月に亡くなったミミさんのオーナーさんがそんなにシェアメイトが嫌なら、私たちが旅行の間、雨漏り当番もかねて家で泊まってもいいよと言ってくれ、5月2日まで一人暮らし中。ありがとうミミさん家族!

高校生手前から下宿生活で、大体それ以降一人でずっと暮らしてきたとよもは(結婚生活は1年半で終わったしね)、誰かといることが苦手でそれは友達でも、家族でも一週間以上になったらなんかストレスになってくる感じする。けどオーストラリアに来て、好きになった人とその彼女と、もう一人で広い倉庫に住んでた時はそれなりに楽しかった。一対一の関係が苦手なんかも。

この雨漏り当番で、心はゆったり、何日土地ストレスもなく、クンダリーニヨガやったり、気功練習したり。買い物に行けば、みんな親切に対応してくれ、ご近所さんには微笑みかけられ。これって絶対自分が幸せやから、相手もリラックスして話しかけてくれるんやと思う。今までは自分がキリキリしてて頭の中はロッテンマイヤーが嫌や!ということで埋め尽くされ、早朝散歩でもその思いは頭の中で繰り返されてたから。。。

何回もそのキリキリ思いを捨てようとしても、それは鍋についた黒焦げみたいになかなか綺麗に出来へん。ネガティブな思いはこんなにも自分の人生を左右するんや。。一年以上そういう状態のまま生きてきて体重も減ってきてたのはそういうことかいな。。。今この自然の中の広い家で自然にゆっくりした毎日過ごしてそういうことに気がついた。

それと結構自分の心を掘り起こした結果、なんか友達にネガティブなこと言うてしもたあとに、ふとそんな自分に気がついて、謝ったりもできるようになってる。この前もそんなことあったな。。

家に帰ってもこのゆったり気分が持続されるのであろうか。。。

ここでまたいつも見てる、mayu1111さんの5月のタロットリーディングを見る。

障害を克服した今、自分の人生を自由に作ってゆく。目に見えない潜在意識を使う。神聖さとつながる。クリエイティブと痛みはセット(そうなんか。。)noと言える力(未だ不安。。)。

このしんどい期間が痛みやったらそれを超えたら自由になる。

自由こそが最初で最後の一歩である byクリシュナムルティ

そうか。なんかもう大丈夫な気がしてきた!

死ぬまで自由、死んだらもっと自由

行動と体験

はーぁ。ロッテンマイヤーのいない自宅ってなんて平和でくつろげるんやろ。。朝もキッチンのテーブルでゆっくりご飯が食べられる。部屋にいてても、キリキリした電話の会話も聞こえない。

でも帰ってくるのが嫌すぎていつもドキドキしてる。

今日もシドニーは土砂降りでサマータイムが終わったとこやのに肌寒い、近所のCOOKS LIVERへの支流がすごい勢いとドドドッーという音を立てながらで川を目指して荒れ狂ってた。いつも歩く川沿いの道も所々すごい水たまりで、歩けないくらいのところもいっぱい。。。

いっぱいいっぱいになって溢れ出すのは、とよもの気持ちと一緒やな。。。きわきわまで頑張って溢れ出す時のパワーってすごいのも一緒やな。

自分でずっと前の投稿読んで分かったのは、いろいろ調べて人の考え方頭に入れても、実際自分が体験せな物事は自分のものにならないということ。

 

それで発見した悪い癖

友達に、今まで言えなかったこと伝えた後、自分が他の友達と話してて、とよもの英語の発音が悪くて相手が何回も聞いたとき馬鹿にされてるような気がしてきて、違うねん!って強く言い放ってしまってた。

オーストラリアに来てから、最初は友達の集まりにオーストラリア人が来るだけですごいストレスていつもそれなら行かないという選択してたけど、途中からそれではあかんってわかってきてなるべく交わるようになって、今は結構大丈夫になったけど、根強い大阪弁英語のイントネーションがこっちの人からしたら、すごい聞き取りにくいらしい。。そういう時でも自分が悪いのに、相手が自分を馬鹿にしてると捉えてしまいむかっとしてしまう。

今回このことがすぐ後でわかって、友達に謝った。

だんだん自分の悪いとこにすぐ気がつくようになって来たかーも。

大切なことは自分が幸せでいてること、自分を自分で幸せにできる力をつけること。

はぁーやっとここまできた。。。

この文章は4月7日に書いてアップするの忘れてたやつ。

ここからまた進化してるとよもに、つづく。

誰かと本気で向き合うということは、自分の内側をいっさいがっさいさらけ出してみること。

この一年間、いやいや、コロナが始まったちょい後やからもう一年以上や、シェアメイトのロッテンマイヤーの厳しい塩対応のおかげで、どういうこっちゃ〜とよもはいろいろ情報を見まくってた。

長い長い探索の結果、人は変えられないから自分が変わるしかない。

せやけど最初はなんでやねん!ロッテンマイヤーが悪いのに!って思う気持ちがすごくて、他人は変えられないが全然納得できず毎日できるだけ合わないように共有場所のリビングキッチンには、素早い時間差攻撃でやり過ごしてた。。

それでもまたとよもが共用で使ってるキッチンのハサミを部屋で使って返すの忘れた時、キッチンのとよもの洗った物置き場に、もいっこの切れない鋏を目一杯開いてこれ見よがしに置いてあった。怖わーー!もう我慢の限界やわ、とおもてるときに、猫シッター2つと犬シッター一つで3月まるまる家から離れられることに(前回のブログの森の犬シッターも含む)。

仕事しながら癒されるシッターの仕事はとよもにとって天職(意味が違うか。。)でいつも救われてる。頼んでくれるお客さま達ありがとう。

甲状腺とあごの下のできもので療養中のお客様。

一ヶ月休養で落ち着いた頃、前自分の気持ちを相手に表現してみる。のちょっと初級のモヤモヤな自分の気持ちをモヤモヤ製造者と思ってる相手に伝えることをトライしてみた。

話をしてみても、ああー全然一方通行通で話が全然じない。。相手は自分の立場からしか意見を言わないし、この現象は私がロッテンマイヤーに何かを伝えようとするときにもいつも現れる。

もう一回説明してやっと、何を伝えたいのかわかってもらえたけど。私はそんなこと気にしないし、そんな前のこと今言われても。。。的な答えで終わった。

世の中には、出来事をすぐに忘却できる人と、ずっと心の中に置いてる人がいてるんや。。。それと批判されたとき人は自己防衛機能が働いてそのことを認めないでいれるような対応するんや、それは自分にもあるなぁとまるで鏡を見てるみたいな気持ちになった。

 

大昔、付き合ってた人に、とよも、『世の中は白と黒ではない、グレーもあるんや』と言われたことも蘇ってきた。

その時はグレーって単なる言い訳やんって思てた。

とよもは完璧、白黒派でその上起こったいやなことをその場では我慢して(言えるときもあるけど)ずっと覚えてる、プラス自動的自己防衛反応。

うーん今まで知らなかった自分のことをここまで見つけられたすごいことのように思える。

以前に受けたヒプノセラピーでの自分が自分を守る!という新しい考え方もすごいプラスになってると思う。

シッター最後日に、ロックダウンのときに無料でクンダリーニヨガや瞑想をzoomでみんなに教えてくれてた、yukie tsunoさんの、これまたgiftクラスの瞑想に参加させてもらった。その瞑想で息を吸う吐くことに集中して終わった時。

すごい完璧に、自分は変わった!もう絶対大丈夫やという感覚がきて頭からのろしがもくもく上がってる感じがした(以前ものろしが上がった時あったよな)。今までいろいろ調べてきたことがその瞑想でちゃんと必要なところに配置されて動けるように頭のギアがつながったとでも言おうか。。。(以前にもギアが組み合わさった映像見たよな、とよも!)

誰かと本気で向き合うということは、自分の内側をいっさいがっさいさらけ出してみること。

さっきこういうことを言ってる人の記事を読んで、自分の中にあるネガティブなところを認めてそれもみんな必要なことと思った証拠ののろし!や

そして家に帰った。

ロッテンマイヤーがいてない。

先週もちょっと用があって家に帰ったけど、その時もいてなかった。もう二週間以上帰ってきてない。。でも冷蔵庫にはロッテンマイヤーのからのペットボトル(なんでかいつもからのペットボトルを冷やしてる)とスパークリングウォーターが入ってたから、出て行ったわけではない。

つづく