ありがとう、ちょっとこの世界を変えて見せてくれたインディ。

今日は、長い午前中やったなぁ

17歳の友達の猫インディーが今朝亡くなった。

何回もインディーのシッターに行ってた。一週間前も8日間シッターしてたけど、そのときはまだトイレも自分で行っててご飯もすごい食べてた。それから友達が帰ってきて一週間で病状はすごく悪くなって、ちょっと立ってて水飲んでも、すごい息が苦しそうにはぁはぁ少しの間なっててご飯も食べなくなってたらしい。

オーストラリアではクオリティライフが保てない状況になれば、ほとんどの人が安楽死を選ぶ。病気で食べなくなった猫に、日本みたいに強制的にご飯食べさせたりほとんどの人ははしない。それでまた元気になる猫もたくさんいてるのも知ってるけど。。。とよもは自然に任せる派。

今朝7時に獣医が来るから、あなたも来てくれる?と言われて行ったけど全然獣医は来ない、これがオーストラリア。結局10時過ぎに来てくれた。最初にふんわりする薬を注射するときから、インディーは動かせると怒った。獣医さんはもうインディは覚悟は出来てるみたいなこと言ってたけど、最後の抵抗、注射したら数秒で口からポタポタよだれが出て、それでも次の注射も怒って抵抗してた。獣医さんが噛まれないようにとよもはタオルでインディの首を固定して支えて。2つ目の点滴みたいに管のついた注射でゆっくり薬を入れる、入れ終わって数秒で聴診器を当てた獣医さんは、もうなくなりましたといいインディを毛布でくるんで持って行ってしまった。まだ綺麗なグリーンの目も開いたままやった。。。

獣医さんが言ってしまった後、インディーが生きてる数秒前と今では世界が少し変わってる感じがした。

キーツが死んだ時もとよもはそんなにひどく悲しまなかったなぁ。でもこの世界がなんかちょっと変わった感覚を感じたのは初めて。

体がなくなってインディは自由なスピリットなってると思う。

インディと17年暮らしてた友達はよく猫からのメッセージが映像で頭に浮かんでくるらしい。今インディーがどんなメッセージを友達に送っているんかなぁ。

ありがとう、ちょっとこの世界を変えて見せてくれたインディ。

だいぶ前にサマーカットしてふわふわな毛が生えてきてたところ。

 

ペットシッターの仕事

ペットって?

ペットは、人の心を和ませたり楽しませてくれる、といった理由で人が飼っている動物のことである。人はペットとの様々なやり取りを楽しんだり、その姿や鳴き声などを鑑賞したりする。

人間はなぜペットを飼うのか

現代の先進国では、群れで生活して群れの中で分け与える必要がありません。だから、ペットを飼うことで、その分け与えたい、何かの世話をしたいという本能を満足させているのだと…。人間には、「分け与える」ことで心が喜んで「幸せ」になる…ということが脳にプログラミングされているというのです。

by Wikipedia

ペットの語源はpettyで取るに足らない、ささいな、わずかな、狭量な、けちな、下級の、劣ったみたいな意味らしい。

うーん

やっぱり人間の下の階級みたいなネーミングだ。

動物はペットではなーい

とよもにとっては、いっしょに暮らす動物たちは守り神みたいな存在だ。

そして動物シッターは、その方々たちが一人で家で平和に暮らせるようにサポートする仕事。

とよもが初めてシッターしたのは2012年、オーストラリアに来た年から一緒に暮らした猫のキーツが18歳で亡くなってから。その前に、働いてた出版社が大きな出版社に買い取られ、いつも一緒に仕事してた人たちも全部仕事を失った。2000年にも同じように仕事がなくなり2年くらいきわきわ生活してたなぁ。オーストラリアに来てからの生活って日本にいた時より断然スリリング、アップダウンが激しいけど、ギリギリのところでいつも救われてたなぁ。。。

シッター初めて2−3年だと思ってたけどもう10年経ってたよ。いろいろな経験して、どんだけ動物たちが賢いか、彼らから教わることもすごい多く、人間と同じくらい色々考えてとよもに気を使ったりもしてくれることも分かった。かたじけないっ!

みっしゅはキーツがなくなって次の日から毎日うちに来てくれてた近所の猫。そういう猫の連絡網ってすごいと思う。まさに守り神。

ここ最近、その守り神達とのコミニュケーションができるようになるために日々コツコツと感覚を研ぎ澄まし、いろいろな情報を集めて研究中。

 

ありがとう、チビ子

年末からのシッター顧客様の死に続いて、今シッター中の野生の鳥のチビ子が。。。

チビ子はcurrawongというカラスに似た鳥。

シッター先の友達が庭に落ちて来た、カラウォングの雛をチビ子と名付けて保護して育てた。チビ子は飛べるようになってからも、毎日ご飯をくださいーと庭に来るそうだ。

昼過ぎに到着してキッチンに行くといきなり窓の向こうで大口開けた大きな鳥、こわごわ、指示の通りに、割り箸でミンチ肉つまんで口の中へ。。。と言っても、なんか怖くてなかなかちゃんと口に入らず、ボロボロ地面に、落ちた肉は食べないし。。。肉食べさせた後も、ずっと枝の上で、はぁはぁしてるし。

もしかして肉が喉に詰まってるんかと、オーナーさんに連絡したら、『大丈夫、詰まってないよ。チビ子は昨日頃から呼吸器系の風邪で(友達の獣医さんに症状伝えて聞いたらしい)酷くなったら、近所の人が獣医に連れて行くから』と。

でも次の日からとよものご飯あげはすごい上達して次々しっかり喉に!チビ子は枝の上で休むことなく、食べるとすぐに飛び立ってたから回復してきてると思ってた。

とよもがここに来たのは29日土曜日の夕方でその時から1日2回ミンチ肉あげて、30日、31日の朝にご飯あげたのが最後でチビ子はこなくなくなった。

31日の昼ごろかな、チビ子が隣のマンションの網戸に張り付いてるの見て、他でもご飯もらってるんやと思ってた。

がしかし、

4日の朝、電気調理器スイッチつけたら

チビ子見える、焦げ跡。。。

冷蔵庫の中で、色が変わっていくミンチ肉。。。

入院そんなに長引くってあるのかな。。。

そのあと7時くらいコーヒー入れて朝ご飯たべてたら。

ハート型になったクッカバラたち。

このあと3羽になりクッカバラの大合唱。

とよもはすぐに、チビ子に何かあったに違いないと思った

 

9時頃にオーナーさんからのメッセージで、31日にチビ子の様子がおかしいので近所の人が捕まえて獣医に連れて行き入院。入院中に獣医さんが安楽死させたと、それも連れて行った人に何の連絡もしないで。。。オーナーさんによると多分医療ミスでチビ子はなくなり獣医さんはその理由も言葉を濁すだけで、安楽死させたと。。。

はぁー

せやけど、動物たちのネットワークすごいな。仲間に何かが起こったこと感じて表現(セレモニー)してる。。。

このような経験を経て、なんか今まで興味のなかった鳥たちがぐっと身近に感じた2022年新年の出来事。

ありがとう、チビ子

動物は全てを受け入れ愛を与え続けてる

2022年今年もとよもの部屋に来てくれてありがとうございまする。

去年12月に長い間のお客様18歳のミミが亡くなった。

とよもがシッター終わった次の日にオーナーさんからメールが来て、今朝安楽死しましたと。。

ミミは後ろ足がゆらゆらになって数歩進むと腰が抜けたみたいに下半身だけがぱたっと倒れてた、でも支えてあげるとスタスタ歩けた。食欲は旺盛でばくばく食べてた。隣の家のベランダまでも段差を自力で超えてそこにあるコケの生えたような水を飲んでた。トイレもずっと行けてた。でも最終日帰ろうとしたら、ミミはトイレのほんの手前でおしっこの海に横たわってた。あわてて抱き上げ下半身洗って、床掃除終わった時、ミミはもういつものベッドの下で寝てた

ミミ、もう帰るからね!と背中ポンポンすると、いつも一番嬉しい時の声

にゃっ!

と答えたから安心して帰ったのになぁ。。

シッターはお世話するけど自分の猫じゃないからこんな時は、なんでやねん!と叫びたくなるけど(叫んだけど。。。)どう考えるかはみんな違うし誰が正しいとかもないのはわかってるけど。。。

そのあとオーナーさんと話せる機会があって、話を聞いているとやっぱり18年間ずっと一緒でミミにとっては一番愛する人であり、その方の判断ならそれはミミが決めたことになるような気がしてきた。。。そこに自分のエゴをかぶせたらあかんとよも。。。

その前にも、ラブラドールのリースが7月に亡くなったとのお知らせももらってて。17歳。

リースはすごい人間くらい頭のいい子で色々な思い出があるけど3年前にシッターした時は本当にゆっくり歩いて、でも大好きな海まで段差のある道避けて(リースが自分で道を選ぶ)一生懸命歩いて波打ち際を嬉しそうに歩いてたね。昔は、溺れるんちゃうん!とおもうくらい深いとこまで行ってたね。

それで今、リース亡き家にいつもいリースと一緒に寝てたエビスのシッター

今のエビちゃん

そして今日、友達の犬が亡くなったと。。。

すべての人間と暮らす動物は人間のこと愛してる、どんなことあってもそれは変わらない、そこが人間との違い。動物は全てを受け入れ愛を与え続けてる今も。

人間も今そうなる段階にきてるのかーも。

これがロッテンマイヤーとの戦いの終結か。。。

キーツの命日あれから9年

2012年3月27日6時38分に17年一緒に暮らした猫のキーツが亡くなった。もう9年も経っていて命日を忘れてた年もあったけど、なぜか今年は土曜日キーツの命日という声が頭の中で繰り返されてた。

今は友達の猫、ギニーピッグ、うさぎと友達の仕事場にいる鶏とそこに来る野良猫の世話も頼まれていて今日仕事場にいったら庭で猫が待ってた〜と大きな声で鳴いていた。近づいてみるとなんと、キーツに似てる。。。

お腹がぺこぺこだったらしく、大きなカンズメ半分とドライフードもぺろり。触ろうとすると逃げるけどかわいい。。。

キーツがなくなってからはもう、猫と暮らしたいという気持ちがなくなってそのあとにグラフイックデザインの仕事くれてた出版社他の会社に買い取られ仕事もなくなった。そんなとよもをみて友達がはじめて猫シッター頼んでくれた。

今までは猫シッターはとよものいちばんのしごとになってるし。。それは銀河猫協会の思し召し。猫のことを自分と一緒くらい好きな人は銀河猫協会の会員。会長は宇宙でずっと見守ってヘルプしつづけてくれる。まじ。

これがキーツ

俺はもう愛を求めにゃい

かっこいい黒猫JAG

海辺のプリンスとフォモとジャグのシッター終わって2週間ほど経った時、JAGが昨日亡くなったとメッセージが来た。

結構ご飯も食べて、道路脇の溝から下水溝に入ってくつろいでたJAG。

最後はご飯たべて歩こうとしたら足に力が入らず、その場で足が動いてるけど全然進めなく最後にその場に伏せってしまったらしい、それですぐに病院に連れて行ったと。詳しくは聞いていないけど診察した獣医からもう亡くなるのは時間の問題のようなことを告げられ、たぶんその場で安楽死にしたということらしい。21歳。

とよもなら、まだご飯も食べられ苦しんでいないのならそのままお世話するけれど、オーストラリアではもう亡くなるねと言われれば、まだ苦しんでなくてもゆくゆくは苦しむことになるからと安楽死を選ぶ場合が多い。今までシッターしてきた中でもそういうケースは結構見てきた。

JAGは今年の初めくらいに最初にシッターした時は、まだ部屋の中に入ってきて、膝の上に乗ってきたりしてたけど、フォモが来て、フォモに戯れられ爪が剥がれた事件からはもう部屋の中には自分では絶対に入ってこなくなってた。それは寒い日も暑い日も、台風みたいな時は慌ててベッドルームに入れたけど。。。なんとうか、愛はもう求めない、一匹狼的人生になったね。

怪我のときベッドに寝かせたら思いっきり何度ものびをしてねてたね。誰でもふかふかのところのほうが好きやもんな。怪我したときおしっこにつれていこうと抱き上げたときそのまましゃーってあたたかいおしっこがとよもの足にながれたね。。。ブラッシすると、ここもな、みたいにからだをあずけてきたねぇ。不安なときは、溝から下水道の中に入ってでてこなかったね。

年老いてもすくっとかっこよかったJAGありがとう。

相手の気持ち尊重しながら信頼関係をつくるのがホリスティックな考えかた?

今日のfomo
初めて会った時のfomo

悪い子犬FOMO、他の犬に吠えてからドックトレーニングとナチュラルセラピーを行ってる Hounds in Harmony

という所の人がFOMOの家に来てわたしたちにいろいろおしえてくれた。KATEといトレーナーのいうには、犬がリードを引っ張った時、ダメ!とか言ってリードを引き寄せるとそれが喉を締め付けス犬のトレスになるから、小さな餌を持って散歩に出かけFOMOが引っ張ったら、FOMO COMEとか呼んで足元に来たらGOOD GIRLといって餌をあげの繰り返しの練習でひっぱらなくなりストレスもなくなるのですよということみたい。

他の犬に吠えかかるのもストレスで心がいっぱいになってるから、家でもマッサージしたりしてリラックスさせるといいと。

さすがオーストラリア、ここでも褒めて育てる手法。

トリートあげないで犬に命令に従わせようとすることは、無給で働かせてるのと同じだからね。BY KATE

これには、ほーうって、今までの考え方がざっくりくつがえされた。命令に従うのがあたりまえ、従わないのは悪い犬と思う人間の方にこそ教育が必要だよっていうことみたい。

それでまた、なんでも相手の方が悪いと思うとよもの考え方の癖にたどりついた。みんな基は一緒のとこから問題発生してる。

もいっこわかった自分の考え方の癖は、やりはじめたら輪の中でクルクル走りつづける、ねずみのように。とことんそのまま続け意地になる。他の方法とかには目も触れず。。同じことをくりかえす。そして消耗。。。そしてしんどくなり人のせいにする。。はぁーーー

たぶんそういうやり方が今までは好きやったんや、時間かかってもおなじことずっとすることが。これはいったいどこからきたとよもの癖?性格?

変化を嫌うということか

変化には新しい経験がともないそこが不安だからか。人の言うこと聞かない性格?(やばいね)

ということで、今日から一匹づつ散歩に行くことに。匂いを嗅ぎたい時はおもうぞんぶんどうぞっていうのがストレスのない散歩らしい。

どっちがボスとかでなく相手の気持ち尊重しながら信頼関係をつくるのがホリスティックな考えかたみたいや。

そんな新しい方法自分の人生にも取り入れることに挑戦していこー

 

 

just like a starting over, もう、自分を信じてすすむくん

海辺のシッターではいつも自分を試されてるようにもんだいがおきる、一回目いきなり洗濯機が壊れたついでにブレーカーがおちて、セキュリティアラームもなりパニックに。

2回目悪いチビ犬がお客様に仲間入りになり、20歳の猫に絡んで猫は爪を剥がされ大流血。

そして今回3回目のシッターでもまた。。。

それは日曜日の朝のへいわな海辺の散歩の時に起こった。

悪いチビがいきなり他のでかいシェパードに吠えかかっていく。。。やめてーー、そしたらいつもはおとなしいもう一匹のプリンスもぐぅおーぎゃんぎゃんぎゃん!と吠え始め相手も大型犬2匹でばうばう、ワオワォなんやねんおまえら!のすごいさわぎになり、むこうの2匹のオーナーは、たくましいにいちゃんだったのでなんとか引き離してくれて、すみませんすみませんと消え入るような声であやまりながら小股でそこからは脇目も振らずはなれた。

もうその瞬間バキッ!って心が折れた。。。そのあとちょっとはなれたとこで心落ち着くまでなにもかんがえられないままパニック状態ででぼーーっとしてた。。。

家にかえってからもわなわなはつづいてて、いつもは自分でなんとか最後までとがんばるけど、今回は悪い子犬のオーナに全てお知らせして、わたしはもう明日から2匹で散歩することができないかもですって。書いてしまった。。。

すぐにオーナーから返事がきて、明日の朝、解決方法話し合いましょうと(悪いチビのオーナーはプリンスのオーナの親戚で行き場のない子犬をひきとったけど、悪い子犬は部屋でうんちしたり騒いだりで庭のない家ではめんどうみきれずプリンスのオーナーにゆだねてた)。

とよもは、悪い子犬をパピースクールにいれたらどうですかね(オーストラリアではほとんどの子犬はパピースクールでしつけをする、オーストラリアで日本みたいに犬を鎖で繋いで買飼うことは禁じられてるからかな)というと、わたしもすでにそのことを考えてて幾つかのスクールに電話もしたので、そうします。それと今日からわたしも一緒に散歩に行くね。と

その人と一緒にさんぽしたときのリラックス感、これが散歩というもんや、いままでは向こうから大きな犬が来たら避けてスケートボードの人が来たらリードを二重に手に巻いてそなえ、いつも緊張してたし。。。

そのあと一人で考えた。問題があってもう怖くてできないことは、とよもの人生の中でたくさんあった。

18歳でなぜか大型自動二輪の教習所に行きカードのスタンプ押すとこなくなるくらいテストに落ちて、それでもがんばって教官乗せてコース走ってるときカーブで

ブレーキや!ブレーキかけろ!!!といわれ

おもわずアクセルを踏み込んでカーブを超高速でまがり、

止まれ!止まれ!!!

おまえは俺を殺す気か!!と教官にまじにつめよられ

そこで教習所怖くてやめから(たぶん先払いで50万払ってたのに)、そんな経験はやまほど。。。

でもな

こんかいは解決方法の提案をされ、その日から散歩手伝ってもらえ。

これはきっと乗り越えよ!ということやってなんとなくかんじた。

なので、次の日から再び自分で2匹散歩してみるってつたえて今朝いってきた、2匹とも開放してあげられるビーチに。

いままでチビはつないだまま、プリンスだけ放してた

怖いけど、チビも放した!

弾丸のように走るチビ

もう信用するしかないね。自分も犬も猫もみんなひとつのなかにある。

ここで頭に流れる

You may say that I’m a dreamer
But I’m not the only one
I hope someday you’ll join us
And the world will be as one

 

Imagine by John Lennon

すべては経験のつみかさねで信じる事ができるようになる。

はぁー

人はなぜ生きるのか

犬や猫やうさぎは人と話ができないから、とよもは一緒に暮らす動物が何を考えているのかどうしたらいいのかに氣をめぐらせる。

氣=旧漢字の氣は全身から末広がりで八方に広がるエネルギーのことを意味しているらしい。

※第二次世界大戦後、日本はGHQによって統治となります。そのとき、漢字の見直しが行われ、「 」は「 気 」となり常用化され、教科書にも「 気 」が採用されました。

自分の勝手な氣(勝手な氣もあるのか?)を知らず知らずのうちに他人および動物達におしつけてることもある。そのことが回数を増すうちにわかってくる。わかりやすいできごとは猫に構い過ぎ『うざい!』って激しく噛まれたシッター初期。

自分の思う通りにケージに入ってくれないうさぎにイライラしてどうしようもなかった時、もうええわ〜とその氣をすてて(入れという氣をなくし)、じぶんのことをしだした瞬間後ろ見たら、うさぎがひょろっと勝手にケージに入ったこともあったなぁ。

今回の犬のリースは体が大きい、体が大きい分氣もでかいきがする。言葉のかわりに人間みたいに態度や目で語ることもできる。なのでとよもも押つけしない、というか押し付けても微動だにしない。リースは自分の肉体が年老いてきたこということは考えになく体の変化にともなって今そのままを生きてる(これはリースのおかあさんが教えてくれた)。

考えてみたら人間もいらんこと考えて心配せんと、リースみたいに生きたほうがいいかもなぁできたら。それが自然にいきるということか。

 

昨日、ふとみた本棚にあったトルストイの”人はなぜ生きるのか”のなかに

以下抜粋

人にはなにがあるのか=人には愛がある

人には何が与えらえてないのか=人は1年先のことを準備できても、その日の夕方まで生きられないことは知らない。

人はなんのために生きるのか=神は人がばらばらに生きるのを望んでいないので、人それぞれが自分だけのために何が必要かを知らしめていない。人が一緒に生きるのを望んでいるので、自分とすべての人のために何が必要なのかを知らしめた。

人にだけあるとおもわれるもの、それは人は自分のことを考えて生きているが、実は人は愛によってのみ生きているということです。

愛してる人神のうちにあり、神はそのひとのなかにあります。

抜粋おわり

簡単に言えばいつも他人に愛の目を持って生きていったら人は神になるということかなぁ。

逆にいつも他人に愛を見出せず、悪者にしていたらあかんよっていうことや。

氣をめぐらせ愛を持って他をみつめる。

 

いつもシッター先には撒餌さのように、実体験とおつげのような本があるそれはもう、数年つづいてる。

 

 

なんか涙がでそうに

前回せっかくリースが海に行くために長い道を頑張って歩いたのに、あぶないとおもって自由にしてあげられなかっただめな自分をなんとかしたかった。

今朝リースに『海に行く?こんどはリード離すから』というとリースはキラッとこっちみてじっととよもの目をみつめた

『ほんまですか?』

アイコンタクトのあと、リースはすぐ海への道進みだした。おっきい信号二つもわたって、とよもはまたクラクション鳴らされへんかとびくびくしながらゆっくりいっぽづつ。

途中でリースは工事中の道のなにかに後ろ足がひっかかり、伏せの状態に倒れて動かなくなった、わぁだいじょうぶ?とびっくりしてもうこれ以上歩けないかもと、また自動妄想するとよも。心臓はぎゅっとなったけど、それと同時にリースはまたゆっくり立ち上がり歩きだした。信頼わすれてた

とよもの妄想をうちやぶって勇敢にたちあがるリースをみててなんか涙がでそうになる。。。ううっ

砂浜に着くなりリードをはずしたら、リースはひとりでばしゃばしゃ歩いて膝のとこくらいまで水に浸かってた。途中でちょっとかけあしになったりししてるリース

『楽しいわー、これやで!』。

リースを信頼することは、自分を信頼することで、自分を信頼することが自信。

なんか涙がでそうに。。。

いつもはカメラから目を背けるリースも今日はこっちみてくれた!かっこいい。